マリー・セレスト号事件(1)

海にまつわる怖い話・不思議な話 1

494 :お軽と勘平 :03/01/24 03:00

インドネシア】不明のインドネシア機、兵士700人を派遣し捜索活動を強化[01/08]

8 :七つの海の名無しさん:2007/01/08(月) 16:42:56 id:Stci4N1F
1872年11月5日、マリー・セレスト号という二本マストのアメリカ船が、
原料アルコールを積んで、ニューヨークからイタリアのジェノバに向けて出港した。
この船に乗っていたのは、ベンジャミン・ブリッグス船長と8人の乗員、
そして、船長の妻マリー(本によってはファニー)と娘のソフィアの、総勢11人であった。

ところが、1ヵ月後の12月5日、そのマリー・セレスト号が、
ポルトガルアゾレス諸島の間の大西洋を漂流しているのが、イギリス船デイ・グラシア号に発見された。
航行している様子はなく、海上を漂っている状態だったため、何か事故が発生したのではと思い、
グラチア号は、マリー・セレスト号に近づいて船を横付けにして声をかけてみたが、返事がないため、
船長以下、数人の乗組員か乗り込んで、中の様子を確認することにした。
しかし、船の中には誰も見当たらなかった。 
海賊に襲われたのか?伝染病に感染して乗組員全員が死亡したのだろうか?それにしても、死体がないのはおかしい。

しかし、不思議なことはそれだけではなかった。
船内の様子を調べる内に、次々と奇怪なことが分かったのだ。
無人で漂流していたマリー・セレスト号の、船長室のテーブルにあった朝食は、食べかけのままで暖かく、
コーヒーはまだ湯気を立てており、調理室では、火にかけたまま鍋が煮立っていた。
船員の部屋には、食べかけのチキンとシチューが残っていた。
洗面所には今までヒゲを剃っていたような形跡があり、ある船員の部屋には血のついたナイフが置いてあった。 

そして船長の航海日誌には、
『12月4日、我が妻マリー(本によってはファニー)が』
と走り書きが残っていた。

救命ボートも全部残っており、綱をほどいた形跡もなかった。
船の倉庫には、まだたくさんの食料や飲み水が残っていた。
積荷のアルコールの樽も置かれたままで、盗難にあった様子はなかった。

12月4日、一体この船に何が起こったのだろうか。
マリー・セレスト号の乗組員がどこへ消えたのかは、未だ謎のままである。


メアリー・セレスト号の船員は何処へ?

44 :あなたのうしろに名無しさんが・・・ :04/06/15 01:30 id:jI0Y0+KF
前スレにあった異説に、こんなのもある。

1、マリーセレスト号の乗組員の大半が別会社の者だった。
2、航海中に船長の娘が死亡し、その遺体の保存について、
元の乗組員と別会社の乗組員との間でトラブルが発生した。
通常は海に荼毘するが、船長は塩漬けにして陸地に埋葬したかった。
3、船長の奥さんが、嵐で横滑りしたピアノに挟まれて死んだ。(と思う)
4、娘と妻の死で正常な判断が出来なくなった船長は、海に身を投じる。
更に、先のトラブルから元の乗組員たちも、別会社の乗組員によって海に放り込まれて殺害される。
※この辺りの記憶はあいまい。
5、別会社の乗組員と、元の乗組員の生き残りのコックだけとなったマリーセレスト号は、そのまま航海を続けるが、
ある日、他の船によって発見される。
6、が、実はこの船は、乗組員を貸し出していた別会社の船で、
事件の発覚を恐れた(当時、船員の反乱は大罪)会社は、
発見時、マリーセレスト号には誰もいなかったと発表した。
残った乗組員は元々自社の人間だし、コックには大金を積んで口止めしたので、
事件が発覚することはなかった…。